経済・文化評論室

エコノミストであり、物語を愛するヲタクでもある。

景気が良い悪いの基準とは(潜在成長率と需給ギャップについて)

先月末の予算委員会での安倍首相の発言を見てみましょう。

はえ~、アベノミクスの成果であるところの景気回復の波が全国に広がってるんだナァ……っていやまてまて、全然実感ねーぞ!そう思う方も多いでしょう。もうちょっとフォーマルに政府の公式見解を見てみましょう。内閣府の月例経済報告によると、

景気は、緩やかに回復している。

 ついでに日銀の展望レポートもみてみると、

わが国の景気は、所得から支出への前向きの循環メカニズムが働くもとで、緩やかに拡大している。

なーんだ、日本経済は拡大しているんだ!これで一安心ですな。

……

おいいいいぃぃぃ!!こんなん大本営発表じゃねーか!(銀魂風の突っ込み)

いやいや、そうではないのです。実は彼らは明確な基準を持って景気の判断をしております。この記事では、世のエコノミストたちの景気の良し悪しの判断基準について紐解いて行こうと思います。

 

最初に、彼らは多くのマクロ統計データをもとに景気を判断していますが、景気判断の究極的なよりどころはGDP統計です。念のため簡単におさらいしましょう。GDP統計を一言でいうと、ある期間に国内で生み出された価値の総和であり、同時に需要され、支出された価値の総和でもあります*1。例えば100万円の自動車を年間3台生産するだけの経済なら、GDPは300万円です(生産側GDP300万円)。これを支出側からみたときに、家計が1台、政府が1台、企業が1台それぞれ購入したとすれば、GDPの支出側項目では個人消費100万円、政府支出100万円、設備投資100万円と計上されます(支出側の合計も当然300万円)。ちなみにGDPを支出側項目で切り分けると GDP個人消費+住宅投資+政府支出+設備投資+在庫投資+輸出-輸入 となります。

 言ってしまえば、GDP統計の数字が良ければ景気が良くて、悪ければ景気が悪いのです。でも、良い悪いは相対的な概念ですので、何らかの基準が必要となります。そこで登場するのが、潜在GDP需給ギャップという概念です。順に説明します。

 まずは潜在GDPです。これは、経済が無理せず、かといって落ち込むこともなく産出できる平均的なGDPの水準のことです*2。言い方を変えれば、その国の本来の実力のGDPとも言えます。潜在GDPを規定するものは3つで、その国の技術水準と、労働力人口と、資本の量です。ここでいう資本は、金融的な意味ではなく工場設備などの物理的な資本をとりあえずイメージして下さい。単純な話で、人がたくさんいたり、設備がたくさんあったり、技術水準が高ければたくさん産出できるということです。なお、この3つの要素は、基本的には短期的に大きく変化することはありません。なので、潜在GDPも基本的には緩やかにしか変化しません。

ここで注意して頂きたいのは、潜在GDP供給側(供給能力)の話であるということです。すなわち、「うちらはこれだけ生産できまっせ~!」という生産能力に関する水準であって、現実のGDPは、需要側の要因で変動します。例えば消費者が日本の将来に絶望して消費を一斉に控えることがあれば、いかに工場がたくさんあって供給体制が万全だとしても、需要がなくなるということなので、実現するGDP(需要)は潜在GDP(供給)を下回ることがありえます。逆に、東京オリンピックを前に消費者たちのマインドが突然楽天的になって支出を増加させれば、逆に実現するGDP(需要)は潜在GDP(供給)を上回ることがありえます。この場合、労働量を増やしたり資本の量を増やして生産が追いつくようにしなくてはいけませんが、それは例えば新しい従業員を雇い入れたり残業を増やしたり、工場の稼働率を高めたりして達成するのです。実現するGDPは短期的には色々なショックによって変動しますが、潜在GDPを大きく乖離して変化することはないと考えられています。

さて、もしかしたらカンの良い方はすでに気付いているかもしれません。実はこの需要側(実際のGDP)と供給側(潜在GDP)の差こそが需給ギャップです(需給ギャップ=実際のGDP-潜在GDP)。需給ギャップがマイナスといったときは、実際のGDP<潜在GDPとなっている状態を指します。すなわち、「うちらこんだけ生産できるのに…みんなが買ってくれへんねん」という状態です。逆に、実際のGDP>潜在GDPの場合は需給ギャップがプラスです。これは、「なんか注文が殺到してまんねん。徹夜の増産体制でうれしい悲鳴ですわ!」という状態を指します。そして、この需給ギャップこそが景気の良し悪しの基準となるのです。非常にざっくりと言ってしまえば、需給ギャップが正ならば景気が良く、需給ギャップが負なら景気が悪いと言えます(図1を参照)。

(図1)

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なお、図1の通り、景気は基本的に好景気と不景気を循環するものであると考えられています。実際のGDPは潜在GDPの上下をうろうろしながら推移していくのです。

さて、実際のエコノミストたちは、GDPの水準だけではなく変化の方向を重視します。なので、需給ギャップの水準とGDPの変化の方向感を合わせて、それぞれの経済状況に対して図2のような表現を与えています(こちらの表現は日本銀行の資料を参考にしました)。

(図2)

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では、以上の知識をもとに政府の景気認識を読み解いてみましょう。まず内閣府の「景気は、緩やかに回復している。」という表現ですが、彼らは足元の景気の説明に対して「回復」という表現を用いています。これは、図2からわかる通り、需給ギャップはゼロ近傍で、方向としては需給ギャップが負の状態(不景気)から正の状態(好景気)に徐々に移り変わりつつある状態を指します。お気づきの通り、「回復」という表現の背景には、その前の状態が「悪い」状態であるという前提があるのです。ちなみにこの「回復」という表現ですが、内閣府は2014年1月から使用しています(「持ち直し」から「回復」への移行期間を含めると2013年7月から)。皆さんからすると、政府の景気判断を日経新聞等で見るにつけ、「こいついつも回復してるな」という感想を持たれるかもしれませんが、これは政府に都合の良いだけの大本営発表というよりはむしろ、なかなか次の「拡大」のフェイズに移行できず、需給ギャップゼロ近傍でうろついているもどかしい景気展開なのです。

ところで、内閣府は彼らの算出した需給ギャップを公表していますので、実際にデータを見てみましょう(図3)。これをみるとたしかに、消費増税による大きなフレを除いてみれば、13年半ば以降需給ギャップはゼロ近傍で推移しており、彼らの「回復」という表現と整合的であることがわかります。ただ、ごく足元では需給ギャップがようやく正方向に移ってきており、そろそろ「拡大」という表現に切り替えていくものと思われます。

 (図3)

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続いて、日本銀行の「わが国の景気は、(中略)緩やかに拡大している。」という判断を検証しましょう。この拡大という表現は、図2で見たとおり。「回復」という表現の一歩先の「拡大」という表現を用いています。すなわち彼らはすでに需給ギャップが正の好景気のフェイズに入っているというのです。日本銀行需給ギャップを公表していますので、さっそく見てみましょう(図4)。確かに彼らの産出によると、16年半ばには需給ギャップがゼロ近傍から乖離し、力強く正領域へと伸びていっています。これまた彼らの判断は、彼らの需給ギャップと整合的です。

 (図4)

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政府と日銀で景気判断が若干異なるのはなぜでしょうか?それは、需給ギャップの産出には潜在GDPが必要ですが、それそのものは直接観測することが出来ないので、何らかの方法で推計することが必要になるからです。潜在GDPの推計手法の違いから、政府と日銀の間で需給ギャップに差異が生じるのです(政府と日銀の間の景気認識がずれてていいのかという謎は残りますが、まぁ中央銀行の独立性という奴でしょう)。

いずれにせよ、この記事の当初の疑問であった「景気が良い悪いの基準は何なのか」という問いに対する回答は以上の通りであり、結論から言えば「需給ギャップ」です。とりあえずこれを見る限り、政府のエコノミストは単に大本営発表をしているわけではなさそうです。

 

…というわけでここで記事を終了してもいいのですが、せっかく潜在GDP需給ギャップという概念に触れたので、ついでにこれらと関連することをいくつか付言しておきましょう。

まず、潜在GDP需給ギャップという概念がら、経済成長における長期要因と短期要因というものを分類してみましょう。先ほどから申し上げている通り、需給ギャップは実際のGDPと潜在GDPの差なので、実際のGDP=潜在GDP需給ギャップと表すことが出来ます。こう見ると、実際のGDPは供給要因(潜在GDP)と需要要因(需給ギャップ)の和であることがわかります。先ほど少し触れた通り、実際のGDPは図1の様に、潜在GDPの周りをうろうろしながら推移していき、そこから大きく離れることはありません。なので、長い目で見たときのGDPの成長率は、潜在GDPに規定されることになります。おさらいすると、潜在GDPは技術水準と労働人口と資本の量によって決まるのでした。つまり、長い目でみたときの経済成長は、これらの3つの要因に規定されるのです。これらは、経済成長における長期要因であると言えます(構造要因とも言います)。一方で、需給ギャップに働きかける要因は短期要因です(循環要因とも言います)。例えば消費者マインドの悪化による個人消費需要の低下や金利低下による設備投資需要の増加などがそうです。理解の助けのためにここで短期要因と長期要因を含めて、対応する概念を次の様に整理しておきましょう。

潜在GDP⇔供給要因⇔長期要因⇔構造要因

需給ギャップ⇔需要要因⇔短期要因⇔循環要因

以上の知識の応用例として、当初のアベノミクスの3本の矢を、それぞれ短期要因に働きかける政策と、長期要因に働きかける政策に分類してみましょう。2013年当初のアベノミクス3本の矢とは、①大胆な金融政策、②機動的な財政政策、③成長戦略、の3つです。まず、①の金融政策は、基本的には金利を引き下げて、企業の設備投資や個人消費を喚起する政策ですので、需要に働きかける政策の筆頭です。ゆえに、これは短期要因に働きかける政策に分類できます。ただし、一般論としてはこうですが、アベノミクスの金融政策は金利引き下げではなく、量的質的金融緩和と呼ばれる別の政策手法ですのでご留意ください(需要に働きかける政策であることに変わりはない)。これについてはいずれまた記事にします。次に②の財政政策ですが、これは政府が自ら需要を作り出す政策です。一時的に需要を自ら増加させる政策ですので、こちらも需要要因⇔短期要因に働きかける政策です。最後の③の成長戦略ですが、これは具体的には規制緩和等が含まれる政策ですが、実はエコノミストたちが技術水準と呼ぶものに働きかける政策です。技術水準はどこに含まれていましたでしょうか?そうです。潜在GDPですね。つまり、成長戦略は潜在GDPを高める政策⇔長期要因に働きかける政策なのです。この様に政府は、短期的な経済回復と長期的な成長率の向上の両方を企図してアベノミクスを行ったわけです(アベノミクスに関する反省はまた別の記事で)。

ちなみに、さらに短期・長期の切り分けの応用をもう一つ。例えば、こんな主張があったとします:「景気が悪いのは、高齢化で働く人が減ってるからだ」。この文章は正しいでしょうか?完全に揚げ足取りになりますが、実はこの文章はおかしいのです。なぜなら、先ほど述べている通り、景気の良し悪いの基準は需給ギャップですが、労働力人口の低下は潜在GDPには影響するものの、需給ギャップには影響しませんので、景気とは無関係なのです。むしろ、実際のGDPが一定だとすれば、労働力人口が低下して潜在GDPが下がれば需給ギャップは改善する(プラス方向に動く)のです。なので先ほどの主張は、長期要因・短期要因(構造要因・循環要因)といった風に、経済成長に与える要因が頭の中で整理できていない可能性が高いです。でも、喜々としてそんなことを指摘してもウザがられるだけなのでやめましょう。先ほどの文章も素朴な意味で「景気」という言葉を使っているだけなので、言いたいことは何となくわかりますからね。

 

最後にもう一つ、 潜在GDP需給ギャップという概念を用いて、「景気が良いときになぜ物価と賃金と金利は上がるのか」ということについて理解を深めて終わります。景気が良い状態というのは何度も言ってるとおり経済全体でみて需要>供給となっている状態です。まず、物価についてざっくりと言ってしまえば、需要が供給以上に強いから上がる、という非常に単純な仕組みです。フィリップスカーブというものをご存知でしょうか。縦軸にインフレ率、横軸に需給ギャップ(もとは失業率ですがほぼ同じ意味です)をとったものですが、これは端的に今申し上げた関係を図にしたものです。賃金と金利はどうでしょう。これも何度も言ってきた通り、潜在GDP=供給量は、技術水準と労働力人口と資本の量で決まりました。技術水準を不変とすれば、景気が良い⇔需給ギャップが正⇔需要>供給となっている状態では、需要を満たすために労働と資本が足りてない状態になるわけです。なので、労働を確保するために賃金が引き上げられ、資本を確保するために(設備投資を行うために)資金を確保する需要が高まるため金利が上昇するのです(こうしてかいてみると当たり前ですね)。

 

本当は景気実感と景気判断の乖離についてまで書こうと思いましたが、だいぶ長くなったのでそれはまた別の記事で。

 

以上

*1:更に言うと分配された所得の総和でもあります=生産・支出・分配の三面等価

*2:潜在GDPは、供給能力を最大限使用した場合の産出量として定義される場合もありますが(最大概念)、ここでは平均概念を採用しています。