経済・文化評論室

エコノミストであり、物語を愛するヲタクでもある。

超読解・少女☆歌劇 レヴュースタァライト(第9話)

スタァライトの超読解(感想)の続きで、第9話です。

 

1~8話まではこちら↓

 

第9話は長くなりそうなので、独立した記事として書きます。個人的に神回揃いのスタァライトの中でも特に素晴らしい回だと思っています。セリフがどれも重要なので、MC漢風に言えば「一言一句リリック(セリフ)聞き逃すな」という感じですね。

 (以下ではアニメのキャプチャ画像を載せていますが、著作権法32条1項と文化庁ガイドラインに鑑み、引用に該当すると考えて掲載を行っています。また、英字字幕が出ていますが、違法視聴ではなくHIDIVEという海外ストリーミングサイトで課金して視聴しています) 

 

早速時系列でみていきましょう。

新しいスタァライトの脚本が上がったところから始まります。

雨宮「A組のみんなが頑張っているのをみたら、私たちB組も負けてらんないからね」

さて、このセリフの解釈ですが、「A組のみんなが頑張ってる」というのはレヴューを通じて再生産された面々の姿をみた雨宮さんの感想だと考えられます。

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©Project Revue Starlight

それを象徴するのがこのカット。余計なセリフは一切なしで、以前はキャストから降ろされた香子が雨宮さんと目があうだけですが、これだけでB組からの香子の評価の変化がわかります。

後ほど、大場ななが第100回聖翔祭の脚本を指して「こんな脚本知らない」と言うわけですが、これまでのループではメンバーたちの再生産が発生しないので、雨宮さんが彼女たちに刺激されて脚本作成を急ぐことも発生しないということになり、本当に第100回の脚本はこのループで初めて書き上げられたと考えられます。

さて、新脚本の読み合わせです。華恋が絶望の女神のセリフを読み上げます。

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©Project Revue Starlight

華恋(絶望の女神)「お前たちは幸福だ。自分たちの犯した罪、必ず訪れる悲劇を知らぬのだから」

注意深い視聴者の皆さまが覚えている通り、絶望の女神は大場ななの役ですので、これは当然大場ななの心境を代弁しているセリフです。

そしてここから、みんなで寄ってたかって大場ななの命題である「無限の繰り返し=無限の停滞」を否定します。

星見「人生は二度繰り返される物語の様に退屈である」

天堂「人生は一度きり。同じ物語を繰り返すだけではつまらない。だから退屈しないよう色々なものに挑戦すべき」

 星見純那が話題を出して、さらに天堂さんもいつもの様に簡潔に述べてくれていますね。いつもだったら「ノンノンだよ」するのは華恋の役回りですが、大場ななはここで全員からノンノンされているのがある意味で特徴的です。前回の孤独のレヴューでも述べましたが、大場ななには「無限の繰り返し」に加えて「孤独」という主題も通底音の様に存在しているのですが、彼女の命題が全員に否定されているこの状況も、彼女の孤独を浮彫にしています。

さらに、大場ななの孤独を理解する上で非常に重要だと考えられるのがこの中学生時代の回想シーンです。

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©Project Revue Starlight

大場ななが他のメンバーと比較して特異なのは、過去のトラウマティックなエピソードが唯一描かれている点です*1。中学時代、大場ななは舞台への情熱に目覚めましたが、他の部活と掛け持ちしていたメンバーが全員去り、文化祭での上演が叶いませんでした。ここで、大場ななの孤独に対するトラウマが生まれたと考えられます。

よく考えてみてください。いくら第99回聖翔祭が本当に素晴らしいものだと感じたとしても、それを無限に繰り返すということは常人のすることではありません。大場ななをそれに駆り立てたものは、本人も言うように「みんなを守らなくちゃ」という理由もあるとは思いますが、本当の根本には、この孤独に対するトラウマがあると考えられます。要は、第99回の聖翔祭が素晴らしいものであったがゆえに、未来へ進む勇気よりも、それを失ってまた孤独になる恐怖の方が勝ってしまっている状態が、今の大場ななである、ということです。それを良く表しているのが、続く次のセリフです。

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©Project Revue Starlight

大場「私ね、ずっと一人だった。この学園に来て、本当の意味で一緒に舞台を作る仲間に出会った。舞台に立つことができたの。初めての舞台と最高の仲間。守らなくちゃ、私のスタァライト

そして始まるのが大場ななVS華恋の絆のレヴューです。もうこの時点で華恋勝利は必然だと思いますが、一応絆という主題に対する両者の差異を考えましょう。華恋は言わずもがな、第4話を経てひかりちゃんとの強固な絆があります。一方で大場ななは孤独というトラウマに囚われて、絆を信じ切れていません

大場「大嫌いよ、スタァライトなんて!仲良くなった相手と離れ離れになるあんな悲劇。だから私が守ってあげるの、守ってあげなくちゃいけないの。」

みんなが変わっていくことで「失うこと」、そして「孤独になること」の恐怖は、裏返してみれば仲間たちへのを真に信じ切っていないということでもあります。

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©Project Revue Starlight

一方の華恋のセリフをみていきましょう。華恋は、第9話で散々否定されてきた大場ななの命題(無限の停滞)を、再びレヴューでもいつもの「ノンノン」で否定します。

華恋「ノンノンだよ、バナナ。舞台少女は日々進化中。同じ私たちも、同じ舞台もない。(後略)」

大場「ダメだよ華恋ちゃん。ダメ…」

華恋のセリフに対する大場ななの応答は「ダメ…」というだけで、もはや論理はありません。なぜなら、大場ななは孤独というトラウマにドライヴされて無限の繰り返しているので、背景にあるのは論理ではなく恐怖という感情だけだからです。当然のことながら、華恋が勝利してこのレヴューは終了します。

大場ななの陥っている状況が皮肉なのは、孤独というトラウマに駆られて無限の繰り返しをすることで、ループ者として、そして皆に反し停滞を選ぶものとして、逆に孤独になってしまっている、という状態です。この状況が解消されない限り、大場ななの再生産が完了することはありません。

華恋はレヴューを通じて「停滞」という命題を否定してみせましたが、それだけでは大場ななは再生産できないのです。そこで、彼女を再生産するのが最後のシーンに登場する星見純那です

まずもって重要なのは、偉人の言葉に並べて星見純那が自分の名乗り口上を述べるこのシーンです。

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©Project Revue Starlight

もうこれだけで、大場ななの再生産は5割完了していると言えるでしょう。次の大場のセリフも重要です。

大場「こんな楽しい純那ちゃん、はじめて

この「はじめて」の重さ、わかるでしょうか。無限のループを繰り返して、散々色んな星見純那をみてきたはずの大場ななが、「こんな楽しい純那ちゃん」は「はじめて」なのです。なぜはじめてなのかは明らかで、ここで名乗り口上をあげた星見純那は、これまでのループには存在しなかった、再生産後の星見純那だからです。

「停滞」のアンチテーゼとして、再生産を経た星見純那の姿をみて大場ななは「変化」という価値観をここで受け入れたわけです。なので、続く彼女のセリフは、実は彼女が「変化」を肯定する心を持っていたことが明かされます。

大場「あの一年がもっと楽しく、もっと仲良くなれるようにって、再演の度に少しずつセリフをいじったり演出を加えたりした。(中略)だけど、新しい日は刺激的で、新しいみんなも魅力的で…。どうしたらいいかわからなくなって…」

大場ななの「停滞」の中にも実は「変化」が内在していた…というとまるで脱構築の図式の様ですね(?)。

そして、 星見純那が大場ななを抱きしめてこう言います。

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©Project Revue Starlight

星見「だから…いっしょにつくろう。私たちで、次のスタァライト

このセリフ、完璧です。ここの星見純那のセリフはこれしかありえない。この記事で申し上げてきた通り、大場ななは「孤独」に対するトラウマを抱えていることが、「無限の停滞」に至る最も根本的な原因です。それを払しょくするには、「絆」を心から信じることが必要な訳です。言い換えるなら、変化があっても孤独に陥らないということ、仲良くなった相手と離れ離れにならないということ、よりきらめく未来を一緒に掴めるということを誰かが信じさせてあげなくてはいけないのです。

星見純那は、大場なながやって来たこと(無限ループ)を受け止めて彼女のループ者としての孤独を解消し、さらには再生産後の自分の姿を見せることで変化という命題を大場ななに受け入れさせるところまで辿り着きました。でも、これでもまだ足りない!

そこで、最後に彼女のトラウマを解消させたのが、抱きしめて言った上述のセリフなのです。「いっしょに」「次のスタァライトを作ろうと、抱きしめて言うことが決め手です。「いっしょに」がないとだめなのです。ここで、初めて大場ななは星見純那との絆を信じ切って、「孤独」という命題を乗り越えたのです。だから、このセリフの後に彼女は泣くのです。はい、ようやく再生産完了です。長かったですね。

 次の最後のセリフもまた良いですねえ。

星見「持っていこう。あなたが大切にしてきた時間、守ろうとしてくれたもの。全部持って行ってあげて。次の舞台に」

価値観レベルで言えば 「99回聖翔祭=停滞」VS「100回聖翔祭=変化」という二項対立な訳ですが、前者を否定するわけではなく、両者を合一していこうという弁証法的解決で幕を閉じます。

とりあえず物語の考察は以上です。改めて大場ななという存在を考えてみると、やはりこの物語の中ではかなり特異な存在と言えます。まず、前回の記事で言った通り「再生産(やり直し)」というこの物語全体が肯定する価値観に対して、そこに内在する負の側面(=無限の停滞)を提示しているという点で特異です。なぜ彼女だけが負の側面を受け持つのか、ということに関して言えば、第9話で明かされる通り、彼女だけがトラウマティックな過去を抱えているからです。よって、彼女の主題は「無限の停滞」に加えて「孤独への恐怖」というより深く多面的な要素を抱えているということになります。

そして、第9話のラストのシークエンスは、再生産後の星見純那の導きによって、大場なながこれらの主題を全てきっちりと乗り越えるという見事なものとなっています。そういう意味で、第9話は神回と言わざるを得ないというのが僕の結論となります。

ちなみに僕個人が神回だと思ってる第2、第4、第9話について調べてみたら、どれも絵コンテを切ってる人は小島正幸さんという方だそうです。しかもこの方はメイドインアビスの監督もされてるそうです。

 

おまけで、完全にこれは僕の荒唐無稽な妄想なのですが、前回の記事で僕は「ミロのヴィーナス=再生産前の大場なな」という珍説をブチ上げました。最後の一連のシーンなんですが上述の再生産完了のタイミングまでは、ミロのヴィーナスが画面に度々映りますが、再生産完了後(厳密には星見純那の口上後)は一切映らなくなります。大場ななの変化を象徴しているように思えるのですが、これも僕の珍説をサポートする材料になりませんかね?なりませんね。

 

もう一つすごくどうでもいい個人的な感想ですが、スタァライトの原作を読み合わせる華恋とひかりちゃんについて。

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©Project Revue Starlight

華恋「親友のためなら、危険を顧みず、奇跡を起こそうとするフローラの勇気」

ひかり「記憶をなくしても、親友との約束は忘れなかったクレールの強さ」

初見のときぼーっとみてたらお互いのことを褒めてるのかと思ったら、ご案内のとおり華恋=フローラ、ひかり=クレールなので、お前ら自分のこと褒めてるのかい!と突っ込んでしまいました(笑)。まあ劇中劇との象徴レベルでの対応ということなので別によいのですが。

 

長くなりましたが以上です。

*1:ここではひかりちゃんのロンドンでの敗北はトラウマとはカウントしてません。