経済・文化評論室

エコノミストであり、物語を愛するヲタクでもある。

超読解・少女☆歌劇 レヴュースタァライト(第1話~第4話)

少女☆歌劇 レヴュースタァライトです。リアルタイム放送時には見ていなかったのですが、友人が強烈に視聴推奨していたことで興味を持ち、この度ストリーミングサービス(海外在住なのでHIDIVEという海外サイト)に課金して一気に視聴しました。

全体通じた感想としては、魅力的なキャラクター、丁寧な演出、説得的なストーリー、展開のテンポの良さ、隙の無いタイトな構成、劇中劇を用いた重層的な物語構造、美麗な劇伴、作り手のフェチズムすら感じるメカニクスの外連味、そして何よりも、圧倒的な熱量を持って描かれるレヴューシーン等々、褒めるべき点が無数に存在する極めて水準の高い質アニメであることは疑いようが無いです。

そんな本作を賞賛する感想記事や一般的な考察記事は既にたくさん存在していることと思いますので、この記事では、①物語の背後にある本質②アニメ上の象徴的演出の2点に軸を絞って、私が本作から"読んだ"ことを開陳していきたいと思います。

念のため今の私の状況を説明しておくとアニメシリーズ全12話を視聴完了しただけのにわかであり、舞台を含め他のメディア展開について触れていない状態です。なので、アニメ以外のソースの情報を用いれば即座に論破されてしまう考察も含まれているかもしれません。その場合はご愛敬ということで笑ってやって下さい。あと、そもそも私の妄想全開の解釈なので異論反論オブジェクションはたくさんあると思いますが許して下さい。

なお、各話ごとに分けて各論的にみていくという試みなので、長くなってしまうことを避けるために記事は3回に分けるつもりでいます。

 

(以下ではアニメのキャプチャ画像を載せていますが、著作権法32条1項と文化庁ガイドラインに鑑み、引用に該当すると考えて掲載を行っています。)

 

第1話

実は1話については言うことがあまりないのですが、二周目で見たときに一番グッとくるのはやはり第1話ではないでしょうか。特に東京タワーから落下する夢のシーンは二周目にみてようやく理解することが出来ます。

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©Project Revue Starlight

ここで、この「落下」シーンに関連して、本作全体に通底する重層的な物語構造について語らせて下さい。本作の劇中劇として登場する「スタァライト」という歌劇のあらすじを簡単に説明すると、「二人の少女(クレール、フローラ)が星を摘もうとして女神たちを乗り越えて塔の頂上に到達するが、片方の少女が落下してしまう」悲劇です。いわずもがな、塔を登って星を摘もうとする二人の少女はひかり(記憶=きらめきを失ったクレール)と華恋(フローラ)に重なる訳ですが、この東京タワーからの落下の夢は、このままの華恋であればこの悲劇の通りになるという暗示になっている訳です。

この様な基本的な理解のもとで、アニメスタァライトの物語全体の構造を見てみると、第10話までは華恋とひかりがクラスメイトたちをレヴューで打ち破りながら、最後は天堂真矢・クロディーヌペアに打ち勝ち、華恋とひかりの二人でスタァに一番近いところまで辿り着きます。しかし、華恋はステージから落下してひかりはステージに幽閉されてしまう…。

この話、どこかで聞き覚えがありますよね。そのとおりで、要はアニメ第10までは何をやってるかというと、女神たち(クラスメイト)を打ち破って塔の頂きまで登るがフローラ(華恋)が落下してしまい二人の夢が叶わないという、まさに歌劇スタァライトそのものをやっているのです。ここで終わってしまっては悲劇のままなのですが、残り2話で二人がこの悲劇を乗り越えてハッピーエンドを迎えます。つまり、このアニメを一言で言うならば「華恋とひかりがスタァライトという悲劇に打ち勝つ」という話なのです。このように、劇中劇と物語全体が重層的に参照しあっているという構造が、このアニメの見事な点の一つです。

ちなみに、話は変わりますが、個人的に第1話を二周目に見てとにかくグッとくるのは大場ななのセリフですね。「大丈夫よ、華恋ちゃん頑丈だし」「全部わかってるわ、私には」 等々の言葉の意味が初見時とは変わってしまうわけですが、何が素晴らしいって、どのセリフも自然で全く伏線伏線していないのが良いのです。下手な脚本ならここでひっかかりのあるセリフを入れてしまって、「見えている伏線」にしてしまいがちなのですが、それが一切ないというバランス感覚が、このアニメの最高なところの一つです。

あと、セリフということにちなんで言うと、この物語において天堂真矢は基本的には端的に物事の本質を言い続けるので(まぁその分本人の心情描写は少な目なんですが…)、解釈に迷ったらとりあえず天堂さんの言うことを信じておけば大丈夫です。第1話で言えば、ひかりちゃんを評していう「でも…あの方、心が見えませんわ」というのはまさに一言でひかりちゃんの本質(心=情熱=きらめきを失っている)を表していますね。"情熱"のレヴューでひかりちゃんが星見純那に負けそうになってる理由もこの通りですね。

 

 

第2話

色々言いたいことはあるんですが、第1話書いた時点でクソ長いので要点を絞ります。

とりあえずレヴューについて考えていきましょう。これは本作に限った話ではないのですが、物語で2人が戦っている場合は、それぞれが何らかの相反する価値観あるいは命題を背負っていて、本質的にはそれら(テーゼとアンチテーゼ)の葛藤であると読むのが基本です。では、第2話のレヴューで華恋と純那は何の価値観を戦わせているのか、第2話のレヴューの本質とは何か。

実は、セリフで明確に言ってくれてるので割と簡単です。星見純那の「私はこのチャンスを逃さない。(中略)私の舞台を終わらせないために。」という言葉に対して華恋は「ノンノンだよ。一度で終わりじゃない。私たちは何度だって舞台に立てる」と言います。これはつまり、「一度失敗したら終わり」という星見純那の強迫観念と、「何度だってやり直すことが出来る」という華恋の主張が戦っているのが2話のレヴューの本質なのです。こういってしまうとなんてことない命題の様な感じがしますが、実は後者の命題はこの物語全体の主題とも関わる重要なものです。度々繰り返されるように本作品は「再生産」がテーマになっています。要は、一度失敗しても(堕落しても、きらめきを失っても)もう一度やり直せるのだ、ということですが、正に第2話で華恋が主張しているのはこの命題そのものなのです。

さて、この第2話のレヴューの妙味は何かというと、実は華恋のこの主張は第2話までの物語構造そのものに既に肯定されているのです。よく考えてみると、第1話で純那はイレギュラーとは言え華恋に敗北しているのに、第2話で再戦を許されているではないですか。このこと自体が、何度だってやり直せるということの証左になっているです。こういう構造上のトリックもこの話の面白いところですね。

さて、問題はこのシーン。象徴表現きた!という感じですね。

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©Project Revue Starlight

象徴的な表現を多少知っている人ならばすぐにピンと来るのではないでしょうか。はい、どう考えてもカーテンにくるまれた暗い狭い空間=胎内ですね。そして、そこから結構な勢いで前転して出てくる(これもまたいいですね)は出生です。つまり、このシーンは星見純那の生まれ変わり=再生産を象徴的に表している表現なのです。なので、この"絵"を見ただけで、あぁ星見純那は華恋の命題を受け入れて変わったんだな、成長したんだなということがわかってしまう訳です。ゆえに、当然ながら生まれ変わった星見純那の言うセリフは「でも、これで終わりじゃないもんね」になる訳です。おまけに命題を受け入れただけでなく、人間としても華恋のことを受け入れます。2話の序盤では「私は(怠惰な)あなたとは違う」とまで言ってたのに、このラストシーンでは頬を赤らめながら「純那…でいいよ」ですよ。そしてステージ上の二人のロングショットからのパンアップで、星見純那の象徴であるメガネの向こうにはスタァライトが見えている…。

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©Project Revue Starlight

はい、神回。二話目にして神回。最高過ぎるでしょ…。

あと、全く話は変わりますが、第二話で個人的に好きなのは大場なながひかりちゃんにバナナプリンを渡そうとするシーンでもの凄い逆光で大場ななが暗く描かれているところですね。

 

 

第3話

ちょっとすでに長くなり過ぎた上に第4話も語りたいことがあるので、第3話は簡潔に行きます。

まず冒頭のシーン。99期生の最初のスタァライトの上演ですね。天堂真矢の「二人の夢は叶わないのよ」というセリフで終わります。はっきり言ってしまえば、第3話の本質はこのシーンだけで終わりです(このアニメは最初の数十秒で主題がしっかりと提示される場合が多いです)。

はぁ?と思われそうなのでもう少し詳しく説明します。先ほどの第2話と同様にレヴューにおいて天堂真矢と華恋がそれぞれ何の命題を背負っているのか見てみましょう。これもまたセリフで明確に言ってるのですが、華恋のセリフである「スタァになるためだよ!ひかりちゃんと一緒に!」に対する天堂真矢のセリフは「舞台の上にスタァは一人」「あの子はささげた(I sacrificed that girl)」「あの子は切り捨てた(I discarded her)」「私は一人でもスターだ!」です。英語版の方がわかりやすいと思うのですが、「ささげた」と「切り捨てた」の主語はいずれも天堂真矢で、ささげられて切り捨てられたのはクロディーヌです。

要は、華恋の命題が「二人でスタァになる」であるのに対して、天堂真矢の命題は「スタァには一人しかなれない」なのです。ここに来て再度立ち現れるのが、劇中劇スタァライトとの重層的な構造です。要は天堂真矢の言っていることはスタァライトの悲劇そのものなのです。天堂真矢は基本的にあまり心の内が描かれることが少ないキャラクターなので妄想で補完するしかない部分なのですが、劇中劇との関係性を考えれば、本当はクロディーヌとともにスタァになりたいという気持ちがあるのではないでしょうか。しかし、競争で相手を蹴落としていくしかないという舞台の非情な現実を知っているからこそ、冒頭のシーンの様に「二人の夢は叶わないのよ」とスタァライトの悲劇的な結末を受けて入れてしまっている、というのが天堂真矢の本質だと思われます。

それに対して華恋の「二人でスタァになる」という命題はスタァライトの悲劇に打ち勝とうとする意志ではありますが、この第3話時点で天堂真矢の命題に敗北するのは必然的なことです。なので、冒頭申し上げた通り、第3話は一言で言えば「二人の夢は叶わないのよ」なのです。なぜ華恋の命題が敗北するかというと、華恋とひかりの二人の気持ちが通じ合っていないからです。それを表す様に、2話と3話でそれぞれ華恋がひかりを探すシークエンスと、ひかりが華恋を探すシークエンスがあるのですが、お互いを見つけることは出来ません。それが第4話でようやく華恋がひかりを見つけることが出来る…という風に繋がっていくのです。

 一つ付言すると、後ほど10話で説明するつもりですが、クロディーヌのセリフである「私は、負けてない」は重要です。私は二周目見るまで気付いていませんでしたが…。

 あと二周目みることで初めてなぜここで双葉とクロディーヌのペアに相互理解が生まれたのか…というのがわかります。まぁこれは後々やはり天堂真矢が二人の類似性に関する本質を語ってくれるからなのですが。

 

 

第4話

ひかりちゃんが華恋から逃げつつも探してもらうために自分の居場所のヒントを知らせてるというえげつないかまってちゃんぶりを発動する(最高)この回。この回の本質を一息で言うならば「これまで(華恋含む)クラスメイトの輪の外側にいたひかりちゃんが、初めてこちら側に足を踏み入れる」回です。

詳しく説明する前にまず前提として確認してほしいのは、第2、3話まででは、まだひかりちゃんがみんなの輪の中に入っていない、ということがしっかり描写されているということです。具体的には大場ななの「みんなで食べよう」という提案を拒絶したり、無理矢理華恋に中庭のテーブルに連れてこられても、すぐに去ってしまったりするシーンです。

さて、第四話の特徴としてあげられるのは、執拗なまでの橋の描写です。とにかくひかりちゃんと華恋が橋の上にいます。ゆえに私は個人的には第4話を橋の回と呼んでます。きましたねこれ、象徴表現です。

映画論的に言えば橋というのはかなり定番な暗喩です。要は、川という境界挟んで此岸と彼岸に分けられるので、橋はその両岸を結ぶ境界線上のものであり、橋を渡るというのは越境して此岸に到達する…ということのメタファーになっているのです。

では、それを踏まえた上で、橋の上にいるひかりちゃんは一体何と何の境界線上にいるのでしょうか?第4話全体の流れを踏まえて言えば、冒頭申し上げた通り、華恋含むクラスメイトの輪の内と外の境界線上です。時系列で見ていきましょう。

まずそもそも逃亡したひかりちゃんは境界線上にすらいなかったと考えられるのですが、華恋とメッセンジャーのやり取りを始めたところで、初めて境界線上にやってきます。

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©Project Revue Starlight

そして、華恋と様々な話をしながらも、ずっと橋の上=境界線上を歩いています。

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©Project Revue Starlight

(関係ないですけどシュタインズ・ゲートに死ぬほど出てきた秋葉原の橋もありますね。)

ここで重要なのは、ここまでではまだ一度もひかりちゃんが橋を渡り切る描写は無いということなのです。つまり、まだひかりちゃんはこちら側に辿り着いていないことになります。

一方で対照的なのは、橋をわたり切る華恋の描写です(下図参照)。これは、こちら側からあちら側(ひかりちゃんの側の世界=外側の世界)に軽々と越境して、ひかりちゃんを迎えに行こうとしてるわけです。

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©Project Revue Starlight

そして、あちら側で華恋とひかりちゃんは真に再開して芝公園のシーンですね)、華恋がひかりちゃんを連れてこちら側に戻ってくるのがこのシーン(下図)。

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©Project Revue Starlight

ラストシーンはやはり橋の上です。第4話を見たときに、なんでわざわざ橋の上でやってるのか、と思いませんでしたか?しかし、これまでみてきたとおり、象徴的な意味を踏まえればむしろこの流れではラストシーンが橋の上なのはもはや必然です。ここの橋こそが、一番重要なクラスメイトの輪の内側と外側の境界なのです。さらに、このシーンが素晴らしいのは、この橋をすっとわたり切るんじゃなくて、橋の上で一回立ち止まってクラスのみんなとやりとりが始まるところです。

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©Project Revue Starlight

無断外出したことをかばってくれたクラスメイトたちが、一人ずつひかりちゃんに「おかえり」と言って暖かく迎えてくれる…。そして華恋に背中を押されて、初めてひかりちゃんは橋を渡り終える。ひかりちゃんが橋を渡り切る描写があるのはこのラストシーンだけです。ここで初めて、「あぁ、ひかりちゃんは越境を終えて、真にこのクラスのメンバーになったんだな…」と思わせてくれるわけです。

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©Project Revue Starlight

はい、神回

 (どうでもいいですけどここは荻窪駅に続く道で環八との交差点近くの川なのですが、私は人生で1000回ぐらいこの橋を自転車で渡っているので、このシーンは感慨深いです。)

 

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