経済・文化評論室

エコノミストであり、物語を愛するヲタクでもある。

I"s(桂正和)

長らくブログを放置してしまったのですが、リハビリがてら最近摂取した物語の感想を簡単にメモしておこうかと思います。今さら読んだのかという様な本ですが、桂正和のI"sです。

 

あらすじ

(前半)主人公の瀬戸くんがクラスメイトの伊織ちゃんに恋をする。瀬戸くんはいつも照れ隠しで伊織ちゃんに冷たく接してしまうが、なんだかんだ色々な事件を乗り越えて二人は結ばれる。(後半)伊織ちゃんが女優の夢を目指してアイドルデビューする。彼女が遠い存在になっていくことに焦る瀬戸くん。伊織ちゃんが忙しくなって擦れ違いも増え、破局してしまう。しかしなんだかんだあって二人の気持ちが通じあって、よりを戻してハッピーエンド。

良かった点

 桂正和の漫画は実は初めて読んだのですが、とりあえず女の子が可愛くてパンツがエロいというビジュアル面が素晴らしかったです。

内容に関して、まず前半で凄く感じたの良い点は、「伊織ちゃんが何を考えているのかわからないがゆえに、読者である自分も伊織ちゃんの一挙手一投足に一喜一憂してしまう」というところです。これは意図的にそうなってるのだと思うのですが、伊織ちゃんの心情が全く描かれないということと、「伊織ちゃんは演劇部だから、あのリアクションも本当は演技かもしれない」という巧妙な設定により、彼女の気持ちをヴェールの向こうに隠してしまっているからです。

これを00年代以降の男性向けラブコメとの比較してみるとどうでしょうか。00年代以降は、基本的にヒロインが主人公に恋心を寄せているということを、さまざまな記号を用いて読者には分からせてくれます。例えば、頬が染まる、ツンデレのテンプレセリフを吐く…等です。当の主人公は、「夕日が当たったせいか、(ヒロイン)の頬が赤く染まっていた」などというテンプレ化したモノローグをするだけで好意に気付かないのですが、読者はヒロインが主人公に惚れていることを知ることが出来るので、安心して物語を読むことが出来るのです。

翻って90年代ラブコメであるI"sは、伊織ちゃんが主人公のことをどう思っているのか本当に分からないのです。でも冷静になって考えてみれば、現実の恋愛ってそうでしょ。自分のことをどう思っているか分からない女の子のリアクションに一喜一憂し、あらゆる自分のアクションにはリスクが伴う…というのが本来あるべき恋愛の姿です。それによって傷つくこともあるかもしれない。でも、だからこそ恋が実ったときのカタルシスも大きい…。そんなことをこの漫画は追体験できます。実際、瀬戸君が告白して、伊織ちゃんが「片思いだと思ってた…」と言うシーンは、伊織ちゃん瀬戸君のこと好きだったのか!とある種の驚きすらありました。00年代以降の「主人公が惚れられてることは読者に対して保証済みの、痛みの無い優しい世界のラブコメ」が失ったものがここにあります。

また、後半部分のアイドルになった伊織ちゃんがどんどん遠くなっていってしまうことに対する瀬戸君の感情も、とても共感できるものでした。同じ立場になったときに恋人を信じ続けられるかは正直疑問に思います。自分より業界人とのプライベートな約束を優先されたり、俳優との恋愛報道があったり…。正直、全然会えなくて自分の知らない世界で何してるかわからない恋人よりも、その恋人に似た美少女でアパートの隣に住んでて自分に懐いてる女の子と付き合った方が瀬戸君は幸せなのでは?と思ってしまいました。実際、瀬戸君の心も揺れてしまうのですが、その心の揺れが十分説得的なのです。

この通り、後半は「遠くの恋人を信じる/信じない」というの二項対立が主題で、主人公は何とか「信じる」側に立ち続けるのですが、「信じた結果裏切られた人」というカウンター概念(=「信じない方がいい」)もきちんと登場するのが素晴らしいですね。それを目の当たりにした主人公は「信じる」「信じない」の二項対立を超えて、「行動する」というジンテーゼに到達します。要は軽いアウフヘーベンですね。そういった物語上の構成もよろしいと思います。

あと、恋人がアイドルになってしまう…という話の類型はいくらでもあると思うのですが、本作の場合はそれが記号化された描写というよりも、割と説得的な書かれかたをしています。そもそも物語の始まりが伊織ちゃんの水着グラビアからですし、伊織ちゃんが演劇部で演劇の夢を持って芸能界に進む…という流れが違和感なく描かれています。

 

悪かった点

まず、二人が付き合うまでの前半ですが、基本的には極度のツンデレ(作中では「逆走」と呼称される)である瀬戸君の暴走によって伊織ちゃんとの関係がこじれる…という話の構造が繰り返されるのですが、正直あまり瀬戸君の行動原理に共感できないというところがあります。いくらツンデレだとしてもそこまで伊織ちゃんに冷たく当たることはないでしょ…と思ってしまったり、あまりに好意の対象が色んな女の子にブレまくるというのもどうかなと思ってしまいました。それに対して、後半の伊織ちゃんと付き合って以降の彼の感情の動きには共感できるところが多いし、ほかの女の子に行ってしまいそうになるところも納得できます。

あと、不満が残るのは、二人が新入生歓迎委員になったときに、伊織ちゃんが二人の名前の頭文字のIをとってスケッチブックに「I"s」って書いて、「チームアイズの結成だね」と言うシーンがあるのですが、このスケッチブックがあまり生かされなかった点です。「このスケッチブック最後の方に再登場する激エモアイテムやん…」と感じてその後の展開を想像してすでに涙目になってしまったのですが、実際のところは結局スケッチブックはあまり描かれることなく最後の方でもチラっと登場されるだけであまりエモさを感じさせてくれなかったのが残念です。

ちなみに、先輩俳優のマンションに行った伊織ちゃんは結局先輩とセックスをしたのでしょうか? 「ラーメンを食べただけ」「マジで狙ったらイサイ(伊織ちゃんの劇団のトップ)に殺される」という先輩の発言からすると、セックスしていないということでいいのでしょうか?瀬戸君が信じたように、読者も信じろということでしょうか?

 

 以上

 

p.s. 予告

最近シュタインズ・ゲートに(今さら)ハマったので、シュタゲの超読解記事を近日中に書きます。